究極の自由研究
2006年08月31日22時45分35秒 言葉
夏も終わりに近づきウェブラジオでも夏休みの宿題が話題になっている。特に自由研究。そこで自由研究を手軽にこなす方法はないか今更ながら考えていたら思いついた。究極の自由研究。
研究テーマ:夏休みの宿題をやらないとどうなるか
研究の動機:また、夏がやってきた。また、夏休みの宿題がやってきた。毎年のことながら、我々は宿題をこなしてきた。しかし、果たして本当に意義のあるものなのだろうか。盲目的になってないか、流れ作業になっていないか、疑問を持つ心を失っていないだろうか。私はあえて立ち止まり、この事象を客観的に眺めてみたいと思った。
「スローライフ」「ロハス」といった単語や、急ぎ過ぎる現代社会、高度情報化がもたらす弊害などをたらたら書き加えるとさらに良いだろう。
研究の方法:夏休みの宿題を一切やらない
…自由研究とはつまり自由である。どんなことを研究しても良い。そして夏休みの宿題そのものというのは山や海よりよっぽど身近なテーマだ。コロンブスの卵と言えるかもしれない。結局、「自由」は「無限」とか「任意に」などと並んで軽々しく使ってはいけない言葉なのだ。
研究の結果:夏休みの宿題をやらなくても、人は生きていける
こうして子供は一つ賢くなり、大人はルール改定に追われるはめになる。
